表出
もう30分近く、別室で大声で喚き散らす子どもがいた。
「もう全部俺のせいなんでしょ!!もう嫌だ!!」といったようなことを叫んでいた。時々そういうことがある子だったし、クールダウンのために入った別室には職員が付き添っていたので介入せず、私はしばらく様子を見て過ごした。
しばらくすると付き添っていた職員が出てきて、「安藤さんとしか話したくないって言ってるから、代わってくれる?」と言ってきた。
私は子どものいる別室に入った。彼はしくしくと泣きながら両腕を体操着の中につっこんで、ひざをかかえて床に座っていた。部屋の中が暑かったので、少し冷房を入れた。
私には臨床心理士の資格も経験もないが、心身ともにパニック状態になった子どもと個室で話す時間を“カウンセリング”だと思うようにしている。こちらから子どもへ“何かを与えてあげよう”というより、“本人を知る良い機会だからたくさん話してほしい”し、あわよくば“私との対話で自身の現状や課題を認識できたらいいな”といったようなフワフワとしたカウンセリングだ。
どうせ俺が全部悪いんだ。
みんながいじわるする。
先生たちのせいでイライラする。
もう全部嫌。帰りたい。
大声出してごめんなさい。
子どもたちが泣きながら大声で叫ぶ様子に、私は自分を重ねてしまう。重ねるというか、もはや自分の姿にしか見えなくなってくる。
彼らはたいてい、何かに対して怒っているか、自分のやったことを謝っていた。
他人から見れば小さな出来事が重く、深く、のしかかってくる。それはもう、大声を出したり、壁を殴ったり、誰かのせいにして非難をしないとやり過ごすことができないのだ。その行動でしか、ストレスに耐えることができない。そして、そういう自分の行動が不適切であるということを理解している子が多い。
頭の中の激しい混乱が言葉や行動によって表出されている。
そういう状態の彼らの頭の中の混乱を、自分のことのように感じる。いろいろな感情の波にのみ込まれる。
どうして私ばっかりこんな思いをしなきゃいけないの?
みんなは普通で、ずるい。
こんなことになってしまう自分が嫌だ。
つらい。
どうしたら普通になれるんだろう。苦しまなくて済むんだろう。
パニック状態になった子どもと話すことで気がつくことがたくさんあるが、とても疲れてしまう。話を聞いて本人がすっきりしても、私はなんだかいつも疲れ切ってモヤモヤしていて、それを自宅まで引きずってしまう。
悪い状態の自分を見せつけられて、だめな自分を再認識するから?
私が“ああなってしまったとき”の彼の気持ちを考えてしまうから?
単純に、“あの対応でよかったのか”と自分の発言を振り返るから?
全部正解のような、間違いのようなかんじがする。
たとえ彼らのストレスの表出が他人から見れば不適切であったとしても、自分を責めないでほしいといつも強く願っている。
ストレスはどこに行ってもなくならない。
だから、不適切な行動をとって更に自己嫌悪に陥らなくて済むようにかかわっていきたい。
2022/07/13