ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

あなたの話を聞かせて

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2月に彼氏と入籍した。

日にちに拘りがなかったから、二人が空いている土曜日にしたら、なんと私の両親の結婚記念日と同じ日になってしまった。こっぱずかしいとか、オリジナリティがなくて嫌とかはとくに思わなくて、本当にすんなり結婚した。

毎日があきらかに、以前より楽しくなった。目の前のこの人が私の夫だという実感もあまりないまま、とにかく毎日しあわせに過ごした。派手に結婚式を挙げるわけでもなく、ブランドものの指輪を買うわけでもなく、今までどおり楽しく暮らしつづけた。

私はそのあいだ、“自分の調子がよくなった”と勘違いしていたのだと思う。調子がよくなったわけではなくて、私を喜ばせるイベントが立て続けに起きていて、それに圧倒されていただけだった。それに気がつかず、精神科の通院を終わらせた。現に気分の落ち込みや不眠や自殺念慮などはなかったので、医師も漢方しか出さなかったし、通院をやめることを止めなかった。私は自分を“症状の軽い患者”だと思い込んでいた。これは私が以前に精神科で働いていたことが仇となっていた。私は私を勘違いしていた。

 

6月に元同僚に会うことになった。彼女とは2年前に会って、そのときに結婚と出産を報告された。私にとってそれはとてもショックだった。仲良しの同僚が結婚して子供を産むことの寂しさや羨ましさというより、自分は遅れているという現実を突きつけられたように感じた。もう二度と会うことはないな、と直感した。

会うきっかけは、自分の調子を取り戻したと錯覚した私からだった。今なら誰にでも会えるし、誰の話もこころ穏やかに聞くことができる、そう錯覚していた。なんなら、子持ちの彼女に出産や育児について経験談を聞きたいとさえ考えていた。本当にあさはかだった。

2年ぶりに会った彼女は少し体に肉がついているように見えて、あきらかに以前と体型が変わっていたので出産の大変さをなんとなく感じた。初めて触れ合う一歳半の乳児はとても可愛くて、小さくて、頼もしかった。泣き声も可愛いと思えた。

 

家に帰ってから、焦燥感が襲ってきた。ああ私も早く子どもを産まなければ、もう今年で28歳になってしまう。

早くしないと産めない体になってしまう。

そうなったときに後悔するのが嫌だ。

後悔するのだけは嫌だ。

 

自分の人生にあまり後悔したことがない。強いて言えば、田舎のおばあちゃんの家にいた老犬を散歩に連れて行き心臓発作を起こさせて死なせてしまったことだ。あのときもっと勉強していればとか、好きな人に告白していればとか、こういう進路に行けばとか、あれを諦めずに頑張れば、とか、そういう後悔がない。いつでも自分にとって最適で自分が希望するルートを導き出してきた。学生のうちに将来の夢を見つけて、国家試験に合格して、一生物の資格を得ることができた。私は自分のために未来を選択することができた。

後悔したことはない。

「後悔したくない」と思ったこともなかった。

 

大好きな夫との遺伝子を分けた子供がほしい。その気持ちに変わりはない。

それよりも、「後悔したくない」という気持ちのほうが大きかった。

 

子どもがいるということは幸せであることの代名詞だと信じ込んでいた。それに付随して生まれる金銭的、精神的なつらさを私は楽観的に捉えていた。現状大人二人犬一匹だけで生活するには十分だ。しかし、弱くて幼いもう一人を養えるほどじゃない。自分たちはまだしも、子供になにかを諦めさせることが増えてしまうことは明白だ。

仕事で子供たちの自宅を訪問するたびに、小さく絶望する。両親が医師だとこんな大きな家に住めていれば安心だなあとか。子どもが三人いて、マイホームも車もあるなんて当たり前じゃなくすごいことだったんだなとか。専業主婦ができるだけ旦那さんの稼ぎがいいんだろうなとか。兄弟がいることや自宅があること、車があることを小さい頃は当たり前だと思っていた自分が世間知らずだったことを実感した。

 

私の夫は、小さい頃お金のことでとても苦労して育った。私もあまり根掘り葉掘り聞かないけれど、夫やその兄弟たちは実家にお金がないことでいろいろなことを諦めなければならなかった。大学時代、夫のための教習所費用は義父の怪我の治療費に消えた。そしてそれは無かったことにされた。

夫は、金銭的な理由で子どもになにかを諦めさせたくないと何度も言っていた。だから“もう一人”の余裕がないいまは考えるべきじゃないと。それは私もよくわかる。贅沢をさせてあげたいわけじゃないが、進学や習い事とか子どもがやりたいと思うことはやらせてあげたい。ウチはお金がないからダメよ、なんて言いたくはない。

でも、じゃあ余裕があるときっていつなの?

何千万円の貯金ができれば、子どもを作る気になるの?

そのときすでに手遅れだったらどうなるの?

こういうことで、私たちは何回も何回も喧嘩をして、話し合いをした。いつも同じようなことでお互いが怒って、泣いて、同じ結果に行き着くのに。

 

 

もし、余裕ができたときが40歳だったら?ああ、お金がなくても若いうちに産んでおくべきだった。多少無理しても、子どもに我慢をさせてもそうするべきだった。そう後悔するんだろうか。

耐えられないかもしれない。夫を恨むかもしれない。最悪なことを実行してしまうかもしれない。身内や友達の子どもを心から可愛いと思えないかもしれない。子どもに関連する仕事を続けられないかもしれない。

私はそのことばかりがこわかった。

後悔したときの自分の豹変した姿を想像して、目の前が真っ暗になる。私は今まで自分の人生を自分で考えて、選んできた。だから後悔なんてなかったから。

 

 

 

6月に子供のいる元同僚に会ったせいで、そういうことが再燃してしまった。私がきっかけを作って、また私たちは、お互いを傷つけてしまった。夫は私を“誰かとの子供を望む女”と解釈して、私は夫を“同じ未来を見ていない男”と解釈していた。また同じことの繰り返しだった。また何度も話し合いをして、お互いを誤解していたことを謝った。

 

子どもをいま産むことはできない。

この先、もしかしたら産むことはないかもしれない。

私たちは、『金銭的、精神的な負担を理由に子供を諦めた夫婦』になるかもしれない。

その結果、今生きている小さな社会で嫌味を言われたり嫌な思いをすることあるかもしれない。後悔することもあるかもしれない。夫婦仲が悪くなってしまうかもしれない。離婚をしてしまうかもしれない。

でもそれは、子どもがいても同じことかもしれない。生まれてくる子どもが五体満足とは限らない。幸せな環境で子どもを育てることができないかもしれない。時間やお金がいくらあっても足りないかもしれない。

 

考えても考えても、私が思う”後悔のない人生“がわからなかった。

この先の人生は私だけのものじゃなくなった。私はそのことをすっかり忘れていたのだ。

だから、この先の後悔がわからなくても仕方ないし、後悔を回避しようと奮闘しなくたっていい。そのことで大切な人と喧嘩するなんて、不毛なのだ。誰にもわからないのだから。

 

私は、これから訪れる”後悔のある人生“を覚悟して生きていく必要がある。

私の人生はもう、私の人生が私だけのものではなくなったからだ。

これからは大切な人と何度も何度も傷つけ合い、話し合いをして、愛し合って、勇気を持って後悔をしていかなければならない。

 

私はいまやっと気がついた。

 

 

 

 

みなさんは、どうですか。

勇気を持って後悔することを、していますか?

あなたの話を聞かせてください。