ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

人を助けたときの話

 

その頃私は精⚫︎科の在宅クリニックで働いてて、毎日患者さんちに自転車で回ってた。運転免許は持ってたけど運転の技術がヤバかったので、暑い日も寒い日も自転車でずっと町を走り回っていた。

 

夕方4時頃、残り一人の患者さんちへ目指して自転車を走らせていた。

私の横を車が追い越していって、そのまま交差点を"なにかを避けるように"膨らんで通過していった。なんだアレ、と思ってその車が行った後を見てたら、おじさんが自転車と一緒に倒れていて、そばで自転車に乗った少年が呆然と突っ立っていた。

おじさんが「オイ!いてえぞお前!!」と少年に叫んでて、少年は震えながらその場から動けなくなっていた。

 

車が轢いたような音もしなかったから、おじさんと少年が何かあったんだなとわかった。めんどくさいものを見ちゃったな‥と思った。ここで警察呼んだら事情聴取とかされて患者さんちに行けなくなるかもしれないし、クリニックに連絡がいったら迷惑だ‥とか色々なことを一瞬で考えた。

少年を罵るおじさんと震える少年をしばらく遠くから眺めていて、自分がここでどう決断するのかめちゃくちゃ悩んだ。でもなんというか、「こういう場面で私ってどう動くのかな?」と変に俯瞰して自分を見ている自分もいた。

 

周りには私以外誰もいなくて、何より少年が泣きそうになっていたから、「もうどうにでもなれ」と決心して近寄った。

 

「どうしたんですか?」

なんか私はまだ社会に出たてのフワフワした奴なくせに、「自分は精⚫︎科で働いてるんだ」という事実と自信がここではすごく強みになっていて、こういうときは興奮している人を優先して話を聞いておこうと判断して、おじさんのほうに話しかけた。

「このガキが物凄いスピードで走ってて、びっくりして転んだ」と第三者が現れたことで余計に興奮したおじさんが私に教えてくれた。うんうんと相槌を打ってやんわり傾聴しつつ、どこか怪我してませんか?と聞いた。

 

「ホラここだよ!!このガキのせいで怪我したんだ!!」

おじさんはそう叫んで、くるぶしを見せてきた。そこには以前できたであろう、中サイズのカサブタがあった。これは今できた傷じゃねえだろ‥と思いつつ、「あーでも血は出てないですね。これくらいで済んでよかったですね」とやんわり伝えて、おじさんの興奮が収まるように相槌を打ってた。

 

おじさんの主張を一通り聞き終わり、少しおじさんが落ち着いてきたので「立てますか」と言うと、「肩貸してくれ」と言われて、なんか嫌だったけど肩を貸して体を起こしておじさんの自転車も起こした。子ども相手に昔のカサブタを指して子どもをいじめるおじさんに触れるのも、"この人はおじさんの味方なのか"と少年に思われてしまうことも嫌だった。

 

少年は中学年くらいの男の子だった。

少年はずっと震えてて、私とおじさんが話している間もずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」と震えながら謝っていた。

「たしかに僕がちょっと、飛ばしすぎてましたけど‥こんな、こんな‥」と話しながら泣き出しそうになってた。サッカークラブに行く途中らしく、遅刻しそうになっていたからいつもより速度が出てしまったらしい。

 

まとめると、少年が猛スピードで自転車を走らせていたのは確かだが、おじさんが転倒するほどのものでもなく、相手が子どもだったのでおじさんは文句をつけ、そしておじさんの指摘する傷は以前のものである(と思われる)というところだと思った。

 

おじさんは「警察を呼べよ!」と、なぜか私ではなく少年に叫んでいた。「警察」というキーワードに少年はひどく怯えて、口をわなわなさせていた。少年が猛スピードで走っていたのも悪いけど、ここまで難癖つけることないんじゃないかとなんか呆れた。

どうしようかなと悩んだ。

こんなことで警察を呼んだらどうなるか?この少年は警察を呼ばれることを望んでいないし、私がここで警察を呼んだら完全に"おじさんの味方"になってしまう。救急車を呼ぶほどの怪我をしているわけでもなく、ただ単に"おじさんが子ども相手に言いがかりをつけている"だけなのだ。

少年は事を大事にしたくはないはずだ。それでも、私が少年の肩を持った判断を下せばおじさんは激昂するに違いない。

なんかもっと、穏便に済む方法はないだろうか?おじさんも納得して落ち着いてくれて、かつ、この少年も安心して話ができるような人を呼べないか?

 

小学校の先生を呼ぼうと閃いた。

まあ極めて少年サイドではあるが、"第三者の大人"ということもあって別におじさんは嫌な顔をしないだろうし、少年もすこしはほっとするかもしれない。

おじさんにも一応了解を得て、私は少年に名前と学年と担任の先生の名前を聞き、小学校の電話番号を調べてかけてみた。入職したてのころは電話が怖くて手が震えるくらい大嫌いだったのに、いまはこんな事態に知らないところへ電話をかけられる自分にびっくりした。

事情を説明したら、すぐに先生が二人駆けつけてくれた。「あなた誰なんですか?なんなんですか?」と不審者扱いされたらどうしようと冷や冷やしたけど、きちんと話を聞いてくれそうな先生たちだった。顔見知りの先生が来たからか、少年は目に見えてほっとした顔をしていて、もう泣き出しそうになるのを必死に堪えていた。

改めて先生に説明をして、おじさんには軽く補足してもらう程度に喋ってもらうようにほとんど私が喋るようにした。うまく言えてなかったと思うけど、おじさんがあなたの生徒さんに言いがかりをつけていますよというニュアンスが少しでも伝わったと思う。

 

先生の判断は、「ひとまずこの件はこの子の親御さんに連絡します。また、こういったことがないよう学校でも周知させますので‥」ということだった。さすが先生だ。このおじさんが納得するポイントを理解している。他の生徒にもきちんと周知させる、といったところはおじさんも想定外だったと思う。「じゃあそうしてくださいよ」とおじさんは納得してくれた。

おじさんが納得してくれたところでやっと場が和み、先生は少年に「気をつけなさいね」と優しく指導した。先生から「念のためご連絡先を下さい」と言われて、迷ったが名刺を渡した。なぜかおじさんも「じゃあ俺にもくれ」つってきたので、渡した。その後少年はサッカークラブへ向かい、おじさんは自転車でどっかに行き、先生は学校へ戻った。私も自転車に乗って患者さんちを目指した。少し遅れたが、特に問題はなかった。

 

 

 

その何日か後に、仕事の携帯に電話がかかってきて、出てみたらこの間の少年のお母さんだった。

「先日は本当に本当にお世話になりました。本当は菓子折りでも持ってお礼を言いに行きたいのですが、ご迷惑と思ってひとまず電話させてもらいました‥」と電話の向こうでぺこぺこ頭を下げているのが想像できるくらい、低姿勢で話し始めた。

「とんでもないです。というかちょっと変なおじさんに言いがかりをつけられていた感じだったので、見ていられなくなって。彼には気にしないように言ってあげてください」

なんか私は嬉しくなって、格好つけたことを言っていた。自分の非をきちんと認める子だから、今後は気をつけて自転車に乗るだろう。

お母さんは何度も何度もお礼を言ってくれた。

 

「お姉さんが冷静に話を聞いてくれたから本当に良かったって、息子が言っていたので‥」

お母さんにそう言われて、本当に嬉しかった。

 

なんというか、"明確に誰かの味方になることなくその場を動かしていく"というスキルが身についていたからこそ、こういう穏便な結果になったのかもしれないと思う。

少年には、世の中にはああいう嫌な大人ばかりであると絶望してほしくなかった。それが彼に伝わっていたらいいな、と思う。自転車を飛ばしていたことは確かに危ないことだし、実際に大事故になる可能性だってあることを実感しただろう。"変なおじさんに絡まれた"ということにダメージを受けるより、"これからは注意して自転車乗ろう"というとこだけを学べばいい。

 

人を助けると本当に気持ちが良くなるんだなあと実感した。心に隙間が開いて、そこに風がスーッと入っていってスッキリする感じ。

 

自分のことで精一杯になりがちだけど、困っている人を見たらなるべく助けるようにしたい。

 

ちなみに名刺を渡したのは、「精神科ソーシャルワーカー」というマイナーな仕事を広めたかったからです。

 

おわり