ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

近況

 

今月で精神科に通い始めて3ヶ月が経つ。

病院に着くと、まずは心理士とカウンセリングを45分ほど行い、その後医師の診察を受ける。処方箋を薬局で引き換える。そういうのを二週間に一度もペースでやっている。なんとなく、なるべく予約は午前中に取るようにしている。

 

最近、ようやく心理士の先生と緊張せずに話せるようになってきた。私は自分が緊張していることを隠すためだったり、相手からの印象を気にしてしまって、初対面でくだけた口調を使ってしまうことがある。ひょうきんな人だと思われたい、というような変な感じ。でも、いくら私がくだけた口調になろうが、雑な言葉を使おうが、心理士の先生はくすりとも笑わず淡々と話を聞いていた。

ふとしたときに、私が家で飼っている犬について話をした瞬間に心理士の先生の目つきが変わったようにみえた。「なんていう種類の犬ですか?」「いつ頃から飼っているんですか?」等、かなり踏み込んだ質問をしてきた。先生の豹変ぶりに少しびっくりした。一通り答えて、もしかして先生はなにか飼っているんですか?と聞いたら、先生は初めて目元を緩ませて「むかし柴犬がいました。もう亡くなっちゃったんですけど、、、」と答えてくれた。

先生の緩んだ目元、公的な立場の人があきらかに個人的な話をしているときの独特な口調に、私はすごく嬉しい気持ちになった。このことがあってから、なんとなく先生との間にあった緊張感のようなものは緩まった。私はわざと口調をくずさず話すようになった。

 

先月末、WAISという知能検査を受けてきた。同年代の知的レベルと比べて自分はどの位置にあるのか、というのがわかるらしい。

図形のパズルの問題が面白かった。問題を見た瞬間、こんなのできそうにないなと思ったが、説いていくうちに自分がかなり集中して取り組んでいることに気がついた。思い返せば小さいころテトリスが大好きで、親に怒られるまで熱中してやっていた。実際のパズルも100円ショップで買って、よくやっていた。図形の回転、似ている図形の選択、一連の図形の法則性を解く問題など、わりと楽しかった。

しかし、計算の暗算、数字の暗唱、単語の説明はかなり難しかった。人の口から文章問題を聞き、それを数式に当てはめて、暗算で計算する、という作業が難しい。しかも、文章問題だから変なところが気になってしまう。「たかしさんは云々」という問題が出てくると「えったかしさんて誰?」とか、「ゆりさんは云々」だと「うわ、名前が一緒だ。いや関係あるわけないか、、」とどうでもいいことばかり考えはじめてしまって、そのあとの言葉を聞き漏らす。

数字の羅列の暗唱では、7桁あたりからあやしかった。さらにそれを逆から暗唱する問題では、もう5桁辺りでお手上げだった。

短期記憶がかなり弱く、マルチタスクが苦手であることはもう明白だ。

 

検査を受ける前、先生は何度か「この検査では同世代の数値において自分がどの位置にあるかということがわかる検査ですが、大丈夫ですか?」と私に聞いてきた。周囲と自分を比べて落ち込んでしまう私の性格を気にしていたんだと思う。そうだったら、ありがたいなと思った。

私は別に、結果が良くても悪くてもどっちでもいいと思っている。どういう結果でも、「やっぱりね」と思える気がする。結果次第でこの生活が変わるわけじゃない。それに、本当はADHDなんかじゃなくてただ単に能力が低いだらしない人間だったとしても、それでもいい。私はきちんと働いていて、経済的に自立しているし、他人と助け合って暮らしているし、犬の世話だってしてる。

結果が楽しみだ。

 

 

 

精神科に通い続けて三ヶ月、わりと調子がいい。

でも以前のように彼氏と喧嘩することもあるし、久しぶりに会った友達と自分を比べて少し落ち込んだり、仕事でうまくいかないこともある。それでも、以前のように感情を爆発させたり、不適切な行動に置き換えて自己表現することはなくなった。自分が怒っているとき、なにに自分が怒っているかを相手に説明できるようになった。健康的に怒ったり、泣いたりするということが少しずつわかってきた。自分の感情に対して、シンプルに分析することができるようになった。

定期的なカウンセリングや処方されている漢方薬の効果だろうか、それとも、「精神科に通院している」という事実だけで精神的に安定しているのか。

 

死というものについても、あまり考えることがなくなった。自分の将来を悲観して焦ることもあるが、それ以上に「まあひとまず私はきちんと生きているからそれでいいか」と、自分が生み出した問題から距離を置くことができた。

だからといって、この先何年何十年と精神的に健康でいられるかどうかはわからない。

自分の人生に集中していられるようになりたい。