ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

風の日

 

高校二年生のとき、悩んだ末に私は剣道部を辞めた。剣道は5歳の頃から習っていて、それからずっと剣道以外の習い事はしたことがなかった。他のことをやりたいとも思わなかった。剣道は謂わば、私を形成している要素の一つだった。竹刀を振っている自分も、汗臭さも、掌いっぱいにできた肉刺も、テーピングだらけの素足も、格好いいと思っていた。そんなふうに並々ならぬ思いを込めて続けていたわけだが、色々あり部活をやめた私は、“何にも所属していないこと”に恐怖感を感じ、ふと思い立って生徒会に入ることにした。

 

生徒会室は3階の奥の日陰にあった。教室一つぶんの広さがあり、古びたソファーやコの字に置かれた長机とパイプ椅子、文化祭やスポーツ大会のグッズ、放置された誰かの体操着などでいつも散らかっていた。ずっとカビ臭かった気がする。

 

「またこの曲かよ」

確か初夏だったと思う。軽やかな風が生徒会室に入ってきていた。何かの催し物でばたばたとしていたある日の放課後、同級生が呟いた。上の階はちょうど軽音部のスタジオになっていて、いつも決まった曲が流れてきていた。

ELLEGARDENだったっけ」

他の同級生が話しかけると、「そう、風の日」と作業をしながら彼は答えた。

コピーしやすいのか、部の伝統なのかわからないが、生徒会室で作業をしていてこの曲を聴かない日はなかった。毎日聴いていたけれど、バンドの名前や曲名も何も知らなかった。その日に情報を手に入れた私はさっそく帰り道にTSUTAYAに寄り、「風の日」が入っているアルバムを借りて聴いてみた。

学校のスタジオでは聴き取れなかった歌詞を初めて見た。

 

 

“雨の日には濡れて 晴れた日には乾いて

寒い日には震えてるのは

あたりまえだろう

次の日には忘れて

風の日には飛ぼうとしてみる

そんなもんさ 僕らはそんなもんさ”

 

 

歌詞にはひねくれた教訓もあまり感じないし、かといって何も込められていないというふうにも感じない。不思議な曲だと思った。天気によって人の気持ちは変わっていくものだから、いま目の前にある辛い現実はずっと続くわけじゃないよ、というような比喩だろうか。今日は雨、明日は晴れ、明後日は、、と人生は続いていくんだぞ、というふうにも感じる。

僕らはそんなもんさ、という歌詞には"諦め"というより、なんだか"温かみ"を感じる。温かい手で背中をさすられているようなぬくもりだ。

 

高校を卒業しても、「風の日」を聴き続けた。「風の日」を聴くと、生徒会室のカビ臭さや雑然とした部屋、先輩や同級生たちと過ごしたあまりパッとしない日常を思い出す。剣道部をやめても自分に居場所があることが嬉しかった。

 

 

私はよく音楽を聴いて過去を思い出す。正確に言えば、“当時の匂い”を思い出す。それは川沿いに群生していた背の高い雑草の匂いだったり、冬の始発電車を待つ駅のホームの匂いだったり、生徒会室のカビ臭さだったりする。

どの匂いも、私の胸を苦しくさせる。もう二度と戻れない日々をただ思うだけで、戻りたいと思うわけではなかったけれど。

 

この先の長い人生で、“過去を懐かしむこと”に何度遭遇するのだろう。いまこの瞬間を懐かしんで、胸がぎゅっと苦しくなることがいつか来るのだろうか。そういうことに自分がしっかり耐えられるのか自信がない。

できることなら、懐かしいなあと昔を思い出すことはあまりしたくない。楽しい記憶もつらい記憶も、思い出したところでただの思い出で、それをどうこうできるわけじゃない。過去に執着しているわけでもないのに、必ず胸が苦しくなる。