ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

『スプートニクの恋人』

村上春樹で一番好きな作品は『スプートニクの恋人』だった。村上春樹は暇な大学時代によく読んでいて、作品だけでなく小さなエッセイやインタビューなども読み漁るほどはまっていた。休み時間には国家試験の勉強をするためによく大学の図書館を使っていたけれど、結局本ばかり読んでいた。

なぜ、数ある村上春樹作品の中で『スプートニクの恋人』が好きかというと、寂寥感が素直に伝わってくるからだ。この作中で村上春樹が表現する何とも言えない寂しさと孤独感が私にはわかる気がするからだ。

 

"風の強い夜に、高い石壁にわけもなく予定もなく信条もなくただへばりついている無意味な虫のような気持ちだった。すみれは僕から離れて「さびしい」と言う。でも彼女のとなりにはミュウがいる。ぼくには誰もいない。ぼくには―ぼくしかいない。いつもと同じように。"

"人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。それはささやかな炎のようなものだ。注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、松明としてかざして生きていくことができる。"

 

私は特に"切なさ"や"懐かしさ"を感じるものが好きだ。そういう状況ではないのに、わけもなく悲しい音楽を聴いたり、救いのないどうしようもない小説を読んだりする。しかし、『スプートニクの恋人』はそれとは違う感覚を私に与えてくれる。"健全な未来のある切なさ"というような感じ。『スプートニクの恋人』の舞台はギリシャだが、私は作中のどの文章を読んでも、ギリシャに行くことができる。実際には行ったことのないギリシャの青い海や白い教会や匂いのある風を感じることができる。寂しくて優しい作品だ。