ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

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誰かの気配を感じながら生活することが時々しんどい。彼が寝返りを打ったり、階段を降りてトイレに入ったり、シャワーを浴びたり、ゲームしていたり、咳やくしゃみをしたり、ため息をついたりする、その生活音が時々息苦しい。

わたしは誰かといるとき、一人でいるときのわたしでなく、二人でいるときのわたしでいなければという強迫観念がある。誰かといるときでも一人でいるときのように気楽にいられたらいいのだろうけど、"誰かといるときの自分"でいようとするのは普段の自分からだいぶ乖離していると思う。同棲を始めたときはそのことが顕著に現れて、寝付きが悪くなったり、イライラして喧嘩になったりした。相手が求めるわたしにならなければとわたしは一人で執着していた。これから先、こういう暮らしが続くのだから、誰かといるときの自分であろうとするのは程々にしようと思った。

たとえば彼は煙草が嫌いなのだけど、わたしは時々吸いたくなる。仕事が終わったときとか、一人で外を散歩しているときとか。工夫すればばれないだろう‥とは考えるものの、結局吸わない。彼に嫌われたくないからだ。わたしは自分がやりたいことをすることで相手に嫌われることなど構わないといった体勢で過ごしてきた。こういうときも悲しくなる。わたしはわたしがやりたいことをできない状況にあるような気がしてしまう。別に煙草など吸わなくても何とかやっていけるし、それほど大きな問題ではないのだろうけど。

一昨年は約一年ほど一人暮らしをしていて、好き勝手に自由に過ごしていた。気が向いたら友達に会い、実家にいたときとは違い母と良い関係を保つことができた。何よりわたしだけの、誰の気配もない空間はとても安心だった。

もう一人にはなれない。誰かの目がある中である程度監視され評価されながら過ごしていかなければならない。

一人暮らしをしていて、自分の思うように部屋を作ったり、自分だけが食べたいものを作ったり、時々夜遊びしてひどい男に引っかかって傷ついたり、一人で生きている友達がときどき羨ましく思う。だからと言っていまの生活を壊したいわけでもなく、中途半端な気持ちだ。