ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

11/29

 

いつの間にか、人と話せなくなっていた。こうしてやっと書いている文章も、きっとめちゃめちゃだ。

自分の気持ちや意見を相手に伝えられない。それは抑圧してくる相手の存在があまりにも大きすぎるから。私の話し方を見ている人たちが、私の話し方について説教を始める。お前の喋り方はときどき冷たい、言い方がきつい、表情が強張っている、相手を怖がらせている。当然ながら私には自覚がないので、それは説教としか受け止められない。説教としか受け止められない私は未熟だと思う。喋り方に気をつけていても、いつもニコニコしているように心がけていても、それでもどうやらダメらしい。努力が足りないらしい。

そういうことが続いて、だんだん人と話すのが億劫になってきた。さらに、その抑圧してくる人たちの声が聞こえてくるような気がして、うまく声が出せなくなってきている。お前はダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ。私の顔に何重にも貼り付いた笑顔は、まったく笑っていないらしい。私は抑圧に慣れている、よくわからない権力を振りかざす人から暴力を受けることにもまた慣れている。慣れているはずだった。権力のある人から言われることは、たとえ的外れであっても受け入れなければならない事実だと思っていた。暴力は受け入れないといけない。冷静に考えたらよくわからない、呪いのような理論を私は23歳になっても頑なに手放そうとしなかった。

人と面と向かって話しているとき、電話で話しているとき、漫画の吹き出しみたいに、声が文字になって目に入ってくる。見られている、聞かれている。そして批判される。

 

悲しかった。

私は人と話すことが好きだったし、そういうことができる仕事に就けたことが嬉しかった。自分に向いていると、純粋にそう信じ込んでいた。今はどうかわからない。本当は自分に向いていなかったのかもしれないし、ただ単に環境が悪いのかもしれない。

文章を書くことも好きだった。好きだった、なんて言いたくなかった。利き腕を失ったようなものだ。私の文章はもう、下手な記録でしかない。もう、自分で読み返そうと思わない。

 

いくらむちゃくちゃになっても、時間は進んでいくし、また月曜日から仕事が始まる。落ち込んでいるよりかは、好きなことでもしていたほうが効率のいい休日を過ごせるのだ。そう考えても前向きになれない。虚しさに負けてしまう