ランゲルハンス島沖

どうしてそんなこと言うの

メモ

 

職場の上司にとことん人格否定をされ、反論もできず、素直に納得することもできず、様々な感情に翻弄されながらただただダラダラ泣いていた私を先輩たちが飲みの席に誘ってくれた。実は、職場では今までに何回か泣いていて、そのたびに先輩たちが声をかけてくれたり、「さっき大丈夫だった?」とラインで心配してくれたりしていた。全部温かくて、有り難かったけれどその倍以上みじめな気持ちになった。いっそ冷たい目で見て欲しかったし、放っておいてほしかったと今でも思ってしまう。実際のところ、職場で感情的になって泣くなんて恥ずかしいことだ。仕事に個人的な感情など不必要だ。

私は人に何かを説明することがとても苦手だ。特に自分の考えや、気持ちなど、自分のことを説明するのが特に苦手。更にそれを苦手な人間に対してやらなければいけないとなると相当なストレスを感じる。苦手な人間に対して、"なんで私のことをお前なんかに説明しなきゃいけないんだ"と思ってしまう。大抵、私が"この人は苦手"と勝手にレッテルを貼っている人間からは、私はきちんと嫌われてしまうのである。そのため、そういう人に対して自分の何かを説明したところで、粗を探されて自分が責められる、傷つく可能性が高いことを学習している。

話せば分かり合える、なんて私は思わない。分かり合えてたまるもんか。

私が泣いたのは、立場を利用して私を理不尽に傷つけてくる人間が許せないからだった。論点はどんどん膨らんで広がっていき、とうとう私の人格を否定される事態となってしまった。これは後から知ったのだけど、そんなことはたとえ上司であれ、「論点がずれ始めている」ことを伝えてもいい状況なはずらしい。私は立場に弱い。立場の高い人の、わけのわからない威圧が恐ろしかった。だからそれにただ服従するしかない。相手が私を勘違いしようが、勘違いをされる私がいけないのだ。

そう思う反面、自分が無闇矢鱈に傷つけられ始めていることにも気づいていた。なんでそんなことまで言われなければならないのか、そういうことを言われてひどく傷つく、と思ってはいてもそれを言う権利は自分にはないと思っていた。相手の言葉に殴られ続けるしかないと思っていた。

 

 

私は、人に理解なんてされなくたって構わないと考えていることが滲み出ているらしい。事実、そうなのだけど。

信頼しきっている人に否定されたと思い込むととことん落ち込んで、外界との関わりをシャットアウトしてしまう癖が23歳になっても抜け切らない。上司に怒られ、全ての人間が信用できなくなり、同居している家族とはなるべく会わないように過ごし、恋人とラインで連絡を取ることさえ拒絶する。0か100か、白か黒か。ボーダー気質と認知の歪みは私の中にきちんと居座っていた。

 

人から傷つけられることは勿論、優しくされることももはや怖くなってきている。なんだかもう、めんどうくさいのだ。傷ついて悲しいとか、優しくされて嬉しいとか、いちいち自分の感情の起伏を実感するのがバカバカしく感じる。